官僚ブログ

官僚の卵(自称)が、日々のよしなしごとを綴る。

会議のオンライン化について雑感

先日、ある会議を無事に終えた。

ウェブ会議システムを併用して、対面の会議を中心としつつ、オンラインでも参加できる「ハイブリッド型」で実施する初めての試みであった。(開催の2週間程前にオンライン化の方針が決まり、オンラインに精通しているだろう若手として、準備を一手に任されていた。)

一部オンライン化したとはいえ、対面の会議を中心とするため、総ページ数400ページを超える資料を、参加者、随行者、事務局用などを含めて50部くらい準備する必要があった。。。

まったく不必要とは思わないが、印刷機をフル稼働させながら、効率化する余地があると切に感じた。

 

今日は、自分の備忘録的に、会議のオンライン化(ペーパーレス化)について、雑感を書き連ねたい。(うまく論点整理できなかったので、読みにくい文章になってしまった。。泣)

 

まず、完全にオンライン化する場合としては、例えば、事務局がオンライン会議を主催し、参加者(・陪席者)個人に参加してもらうという形が想定される。会議画面上、参加者の映像が映っており、適宜、画面共有機能などを用いて、資料を共有することができる。

この場合、紙媒体の資料を用意する必要はなくなる。ただ、参加者に事前に電子メールなどで共有する必要はある。(オンライン会議の機能で会議中に共有することもできるだろうが、参加者には資料にあらかじめ目を通してもらう必要があるのが通例であろう。)

参加者のネット環境やネットリテラシー等を踏まえて、全員が問題なく参加でき、議論できるのであれば、この方法が最も効率的と考えられる。ネックとなるのは、参加者のネット環境・リテラシーが担保されるかであり、また、オンライン会議を回す座長の力量も必要となる。(座長に司会進行をお願いする場合、事務局は座長をサポートするが、それもオンライン化できるのかは更なる検討が必要)

加えて、事務局の視点からは最も効率的といえるが、その分、参加者にしてもらうことが増えるという点で検討が必要である。例えば、参加者に資料を電子媒体で共有することの是非である。紙媒体での保管を常としている参加者の場合、資料の印刷を参加者自身にやってもらうことになる。(もちろん、こちらで印刷し、郵送することもできる。)

つまりは、参加者の負担をどう考えるか、ということに尽きるのではないか。紙派の自分にしてみれば、会議資料は印刷してもらった方が断然楽であるが、事前に、資料の共有方法についても、参加者の意向を確認すれば済む話かもしれない。

 

次に、ペーパーレス化という観点から検討すれば、例えば、対面会議で行う場合、参加者にタブレット端末を配布することが想定される。

が、現時点、弊社には、部局が自由に使えるタブレット端末はない。(参加者全員にわたる数のタブレット端末があるかも不明)

仮に、タブレット端末が完全に整備されていたとしても、別の問題が生じる。つまり、タブレットは会議中に資料を閲覧するためだけに用いる(参加者にタブレットを持って帰られたら困る)ため、別途、参加者には、電子媒体あるいは紙媒体で会議資料を共有する必要がある。そうすると、タブレットによるペーパーレス化は、あまり効率化に寄与しないと考えられる。

 

 

結局のところ、参加者に余計な負担をかけずに、会議を完全にオンライン化(ペーパーレス化)するには、参加者全員がデジタル派で、日頃からオンライン会議を使用しており、また、資料をタブレット等で管理しているような場合なのではないだろうか。(それでも、司会進行のサポートは必要かもしれない。)

それは、進んでるとか遅れてるという観点で捉えるよりも、むしろ、趣味嗜好の問題なのかもしれない。複数資料や大きな資料を一覧できるという紙媒体の強みに加えて、書き込みがしやすいとか、物理的に存在することへの安心感とか、そういった諸々をどう評価するかという価値観の問題ではないだろうか。

 

ということで、とりわけ紙派の自分には、会議のオンライン化が急速に進む未来は見えないのであった。一方で、事前に資料の共有が必要ないレクの場合とか、相手がデジタル派である場合とか、オンライン化を推進できる場面もあると感じる。

(なお、今回は、そもそも対面の方が、人の雰囲気や呼吸が伝わって議論しやすくなるとかいうことは、議論から除外した。)

 

 

※※このブログの内容はすべて個人的見地・見解に基づくもので、所属する組織とは一切関係ありません※※

ただの日記

すーーっと眠りに落ちていくような感じだった。

一瞬だけど、夢も見た気がする。

大丈夫?

との声で目を開けると、徐々に視界が明るくなって、床に寝ていた。

ものすごくひどい立ちくらみのようで、気分は悪い。

意識を失ったという状況を把握するまでに30秒ほどかかった。

 

昨日、生まれて初めて、一瞬ではあったが意識を失うという経験をした。

ものもらいが完治しないから、家の近くの眼科に行って、軽く膿を出してもらうことになった。おそらく、その際に使った麻酔点眼薬ベノキシールに対して、アナフィラキシーのような反応したのではないかと思われる。元から、よく立ちくらみをする性質ではあるが、これまで貧血で倒れたことはない。

そもそも、ものもらいが完治しない、つまり、良くなったり、ぶり返したりする原因は、疲労の蓄積があるのだが、麻酔薬が合わなかったにしろ、意識を失う状況になったのには、根本的には、疲労が原因としてあるのだと思う。

併設した内科で点滴をされながら、「こんなに弱いとたくさん働けないな~」、「使い物にならないな~」、とか考えるのであった。コロナ室の残業時間(最長370時間とか)が話題になったが、「残業時間100時間程度でこんなんじゃ話にならないな~」と思うのであった。

我ながら滑稽だと思うけれども、来年度は忙しくなることが決まっているので、なかなか切実な思いである。

とにかく、体力を増強しなくてはならない。

まずは適切な栄養摂取と適度な運動であろうか。(めんどくさい。)

 

気づけば、三月も半ばに差し掛かり、卒業シーズン只中になってきた。
そろそろ桜も咲くのだろうか。
昨年に引き続き、今年も、コロナ禍での卒業式になる。
きっと、いろんな人のいろんな想いがあるのだろう。
少しずつでも平常に戻っていくことを願ってやまない。

最後になるが、去る3月11日、東日本大震災十周年追悼式のお手伝いをしてきた。
完全なる労働力要員であったが、微力ながらも携われた(お手伝いできたと思えた)ことを嬉しく思う。
心より哀悼の誠を捧げます。
10年前は中学3年生。体育館で卒業式の練習をしていた。帰ってから見たテレビに流れる映像に驚愕したのを覚えている。
10年経った今、政府の追悼式に携わる自分がいる。10年という歳月。長いのか、短いのか。きっと、いろんな人のいろんな10年があるのだろう。

果たして、10年後は、どうなっているのだろうか。自分も、社会も。

少しずつでも「より良い」自分になっていたい。できれば、社会も。

 

意識を失った次の日に、風の音を聞きながら。

 

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テレワークとか働き方とかの話

今日も天気がいいし、少しずつ春を感じられる日が増えてきた気がする。
のんびり桜でも観ていたい気分だ。。

そういえば、コロナと共に過ごしてもう一年経つのだな...と思う。あのときは、なんだこれは?ヤバいな!とは思いつつも、まさかここまで長引くことになろうとは思いもしなかった...

4月に仕事を始めてすぐに緊急事態宣言があり、わけもわからずテレワーク(在宅勤務)をしたことを懐かしく思い出す。

今回の緊急事態宣言についても、出勤回避のためにテレワーク(在宅勤務)が交代制で導入された。家にいながら働けるというのは、昔だと全く考えられなかったことだと上司は言う。その時代のことは知らないが、たしかに、そうなのだと思う。入っていきなりテレワーク宣告をされたとき、「え、意外と進んでるじゃん?! 本気出せば、できるんだな⁉」と思ったのは事実である。

ということで、今日は、つまらない内容になりそうだが、テレワークとか働き方とかについて、思うところをダラダラと書き連ねたい。

 

■テレワークは効率的か?

まず、職場に出勤して仕事するのが当たり前の時代に、テレワーク(在宅勤務)をして問題がないのだろうか。つまり、出勤しての仕事と比較して、量・質が落ちないのかという問題である。

結論から言うと、単に慣れていないという理由から、そして、体制が整っていないという理由から(、価値観が追い付いていないという理由も加えられるが)、テレワークをすると、仕事の量・質ともに落ちざるを得ないと考えられる。

仕事の質を下げる要因をあげると、簡単に思いつくものだけでも、こんな感じだろうか。

すべてパソコン上で処理しなきゃいけないこと(紙文化だと非難されても仕方ないかもしれないが、複数の書類を一時に閲覧したい場合の他、細かい資料をみるとき、会計関係の数字の確認をする際など、紙の方が間違いなく有用である場合は意外と多い。)

対面なら容易に済ませられる報告、確認、相談に無駄なコストがかかること(もちろん、頻繁にメールをやり取りすることで補っているが、口頭なら一言声をかければ済むことを文面で伝えるのが難しいことは少なくない。そして、対面で相談したり議論したりすることの重要性を痛感している。)

他の人の働きぶりがわからないこと(上の指摘と被るところもあるが、他の人がどのように働いているのかわからないというのは、それなりに不安である。相談できるタイミングなのか、仕事をお願いしても良いのか、手さぐりになる。)

テレワーク(在宅勤務)だと不可能な仕事があること(いずれ時代が変わればどうなるか分からないが、大臣へのレク、幹部へのレク、議員へのレク、そして国会対応は、職場にいないとできない。たとえ可能であっても、職場にいた方が圧倒的に効率的である。)

家にいると、ついつい怠けてしまうかもしれないこと(そこは、個人の自覚と責任の問題であるが、隣に同僚がいた方が働きやすい。あるいは、家族がいれば、家族からの妨害も回避できないのではないだろうか。)

 

もっと感覚的な話だと、テレワーク日は、なにか少し嬉しいと感じる時点で、職場での労働よりもレベルが下がっているとは考えられないだろうか。無意識でも、テレワークだと、「楽」だから嬉しいと感じている自分がいる。

そもそも今回、中央省庁でもテレワークが導入されたのは、出勤回避のためであって、仕事の量・質を向上させるためではないから、仕方ないのかもしれない。(多少、仕事の量と質を落としても、出勤回避すべきだということかもしれない。)

 

■テレワークと働き方改革

一方で、逆に利点はというと、仕事の量・質を向上させるという観点からではなく、働き方改革の視点につながるのかもしれない。(より良い働き方が仕事の質向上につながるということかもしれないが。)((そもそも、昨今のコロナという外圧によって、やっとようやく進められようとしている諸々の変化を、都合のいいように「改革」とか言うのは全く好まないが。。))

先にテレワーク日だと楽に感じると言ったのは、労働自体が楽になるから、ではなく、労働と非労働の切替が楽だから、ということかもしれない。(あるいは、他の人がいなくて心的ストレスがないとかいう理由かもしれない。)たしかに、テレワークなら、始業の10分前に目覚め、終業した瞬間に風呂に入れるし、逆に、他人に変に気を使うことなく働けるのも事実である。

ただ、今般、テレワークと同時に残業縮減の取組も急速に進められているが、それらを半強制的に求めることは、働き方改革でも何でもないと主張したい。(緊急事態だから仕方ないのだろうし、半強制的に?圧力をかけて?やらないと進まないということなのかもしれないが。)

例えば、緊急事態だから仕方ないのだろうが、組織として「出勤回避」をするために、どうしても出勤しないとできない仕事(先述のとおり)がある人が、優先的に出勤することになる。そうすると、そういう仕事がない人は、自らの労働の量と質が下がる状況に置かれることを甘受しなくてはいけないのである。(悲しいかな。個人的には、やる気が削がれる。)

残業についても然りである。無駄のように思われる作業で他律的長時間労働させられるのも不快だが、残業をするなと圧力をかけられるのも、また不快である。

つまり、働き方や働く時間について、自由に(柔軟に)決められるということが、最重要なポイントなのだと思う。その観点で言えば、今般のテレワークも残業縮減も、働き方改革には該当しない。

((河野大臣が指示した在庁時間の調査は、それなりの圧力になっているのかもしれない。ただ、残業縮減圧力は、在庁時間(≠残業時間)にも反映されない無賃労働が増えるだけで、何ら解決につながらないのではないだろうか。。。と少し心配である。そもそも、個人的には、在庁した時間と残業代のもらえる残業時間が釣り合わないのは仕方のないことだと思っている。自らの労働の効率の悪さが原因で在庁時間が伸びていることも否めないのだし、予算に限りがあるのだから。しかし、在庁時間にも反映されない無賃労働が増えるのは、あまり好まない。))

20代総合職、長時間職場に 省庁の「在庁時間」調査―河野担当相:時事ドットコム (jiji.com)

 

■テレワークとパラダイムシフト

最後に、少し概念的な話。

理由はなんであれ、今後もテレワークが推進されて、当たり前になる未来を考えると、たとえ、みなが慣れてきて、体制も(文化も)整備されて。これまでの仕事の量・質と比べて遜色ないという状況になったとしても、それはそれで、大きな問題があるのではないだろうか。

つまり、テレワークという概念は、労働の場所的制約をなくすもので(、在宅でテレワークをするならば)、家というプライベート領域に労働をもちこむことにもなりかねない。それは、ワークライフバランスとかいって、推奨されるべきことなのだろうか。ややもすれば、オンラインでつながっている限りすべてが労働(少なくとも準労働)となり、プライベートがなくなるかもしれない。

どういうことか。。。
テレワークは、労働と空間のつながりを絶つ概念であるから、テレワーク概念が根付いていない現時点では、労働は時間と結びつけられて把握されている。(簡単に言うと、職場に行かなくとも労働をしているといえるのは、勤務時間(定時)という概念によってである。)しかし、労働と非労働をわける場所という物理的な区分がなくなれば、いずれは、定時というものが存在意義をなくし、労働と非労働の時間的境界もあいまいになる気がする。そうすると、どこにいようとも、いつであろうとも、労働と非労働を区分することはできなくなる。(労働と非労働の境界があいまいになれば、残業という概念はなくなり、すべて成果主義で賃金を払うことが妥当になるのかもしれない。)

テレビでもよく見る落合陽一氏が、「ワークアズライフ」という概念を提唱しているらしい。(ちゃんと書籍を読めていないが、きっとそういうパラダイムシフトが必要なのだと思う。)

一方で、すべて完全テレワークに移行できるかと考えると、そうはいかない。【場所】の意味は意外と大きかったりもするのだ。例えば、「国会」という場(アリーナ)で、意見表明し議論をするからこそ意味があるのであって、それは、今後も変わらないのではないだろうか。(オンラインで映したりすることになったとしても、その場所はなくならない。)

 

 

ということで、明日からも高い質で労働できるよう頑張ります!笑

 

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新年の抱負【2021年】

明けましておめでとうございます!!
本年もよろしくお願いいたします。

すっかり遅くなってしまったが、2021年最初の投稿になる。
ということで、新年の抱負を。

基本的に年度で動くから、年が変わったからと言って何か変わるわけではない(もっとも年度の変わり目もそうだ)が、年末年始の休暇が1週間もあって、いい切り替えにはなったのではないだろうか。
特に、自分にとっては、年明けから異動(厳密には併任がかかっただけ)があり、これまでと仕事の内容が変わった(つく上司が変わった)から、そこでの意気込みも含めて、新年の目標を立てたい。

 

が、その前に、4月に立てた目標を簡単に振り返りたい。

働く上で「大切にしたいこと」として、次の3つを掲げた(らしい)。

1.自分(真面目さ・純粋さ)を見失わないこと。
2.気持ちは熱く、頭は冷静に。
3.人見知りをしないこと。

 これまで、いつも心の片隅には置いてあり、それなりに実践(というより体現)できたような気がする。(そもそも、大切にしたい精神のようなものであり、無意識にでも体現できていると思えれば、それで十分なのである。)

↓↓そのときのブログ↓↓

kanryo-blog.hatenablog.com

 

その上で、改めて新しいものを掲げる必要性はあまり感じないが、これまで働く中で感じたことを踏まえて、大切にしたい精神(かっこよく言えば、「哲学」)のようなものと、もう少し具体的な目標(自分へのTips的なもの)を区分して、以下、書き直してみようと思う。

新年の抱負【2021年】

【大切にしたいこと(精神・哲学)】
 
仕事をする上で、大切にしたいこと。それを大切にしたからといって、目に見えた成果があるわけではないが、自分を形作るものとして、常に心の片隅に置いておきたい理念である。(きっと、仕事だけでなく、人生において大切にしたい。)

1.自分を見失わないこと
 自分らしさ、特に、真面目さ・純粋さをいつまでも保持したい。いい意味で、組織に染まりすぎないこと。純粋に疑問に思う気持ち、何かおかしいと感じる心を大切にしたい。批判精神だけでなく、純粋に嬉しいとか楽しいとか(もちろん、悔しいとか悲しいとか)いう感情も大切にしたい。

2.気持ちは熱く、頭は冷静に
 これは、もっとかっこいいフレーズないかなといつも思っているが、生涯を通じたモットーのようなものである。日々の業務にやりがいを見出し、熱意をもって、やる気をもって、仕事に臨みたい。その上で、冷静に思考・判断することも極めて重要である。時には、熱量の振り分けも必要となることを学んだ。

3.いつも笑顔で前向きに
 よく上司や先輩に「いつも楽しそうだよね」と声をかけてもらう。(その時は、決まって「楽しいです!」ニコって返すのだが。)マスク越しにも伝わる表情の豊かさは、自分の強みなのかもしれないと思った。楽しいです!ニコってしていれば(実際、楽しいのは事実だが)、自分も、そして、周りも、楽しく前向きに取り組むことができる。

 

【意識したいこと(少し具体的な目標)】
 以上の哲学を踏まえ、それらを体現するために必要なこと、そして、それとは直接関係なく、仕事をする上で意識したいこと(目標)を三つに絞って、書き連ねる。

①思ったことは、自分から伝える
 当たり前だけど、伝えないと伝わらない。信頼関係を構築するための第一歩。自分から積極的に話して怒られることはきっとない。まずは、感謝の気持ち。尊敬の気持ち。どんどん伝えたい。こんなこと言ったら失礼かな...とか考えて、黙るのはもったいない(考えるのは大事だが)。

②文章を正確に読み、論理的に思考し、記録する
 これまで働いて痛感したのは、まず、己の文章読解力の低さである。じっくり文章を読むのが苦手である。(全体像をイメージ化して捉える方が好きである。)が、そんなことは言っていられない。全てがそこから始まる。その上で、論理的に思考し、それを文書として記録しておくこと。行政官にとって極めて重要である。

③スピードもあげる(取捨選択)
 かといって、のんびりやってる暇はない。(自分も時間をかけてなら、文章読解も論理的思考も可能だが、)できる上司は、かなりスピードが速い(もちろん質も高い)。スピードを上げるためには、細かいところにこだわりすぎて遅くなりがちな作業を、要点を抑えてそこだけに注力することが大事になる。

(おまけ)本を読む【月2冊】
 以上は、職場で意識したいことだが、おまけに、職場外の自己研鑽(というと仰々しいが)のための目標として、読書を掲げる。仕事に関係する本でも、そうでない本でも、知的好奇心を失わないことが極めて大事。これだけ急に、具体的な目標として、月2冊と掲げたい。(気が向けばブログで紹介する。)

 

ということで、
目標は立てたら、実行しなければ意味がない。
成果のわかる目標は、読書くらいだが、以上を意識して、今年も楽しく仕事に臨みたい。きっと、いつか、とてつもなく忙しくなっても、忘れずにいたい。

本年もよろしくお願いいたします。
(ブログはテキトーに気が向いたら更新します。)

 

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休日の職場は、静かで悪くない。

今日も、徒然なるままに〜〜、書くことにする。

どうしても、休日に職場に来たくなることがある。(おそらくあんまり良いことではないが。)

ただ、金曜日は、「まあ、週末にやればいっか…」と思ってしまうことが多いし、昨日は、大忙しの1週間の締めくくりで、「もう疲れた!このままだと何も生み出せない!」と、日付の変わる前に帰ってきてしまった。

 

休日の職場は、静かでのんびりできるから、悪くない。(マスクをする必要もないし。)

もっとも、休日出勤ではないし、ゴリゴリ仕事をすることはない。しようとすると、脳みそが限界サインを発してくるのだ。(これは社会人になってから初めて経験した。頭が重いというか脳みその回転が鈍るというか、ひどいときは、パソコンを見るのも拒否されるのである。)

それで、何をするかと言えば、整理整頓である。実際に、書類を捨てたりファイルに綴じたりして机の上を整理するだけでなく、メールを見返して漏れを確認したりTO DOを把握したりと、頭の整理も行う。(繰り返しになるが、TO DOの中身については、方針をなんとなく決めるくらいで、何もしない。)

 

平日は、次から次へと対応しなければならない仕事がやってくる。特に忙しいときは、それをこなすだけで手一杯になってしまう。緊急性の高いものから仕事をするのは当然であると思うが、「これは明日やろうか。」が増えすぎると、それはただの怠慢である。

これまでの投稿で少し説明した気もするが、部局の総括班には、色々なところから色々な情報が入ってくる。そこで、業務をなんとなく分類すると以下のように整理できる。(もちろん明確な区分はない。)

○期限までに対応しなければならないもの

○スケジュール管理とか定例的なもの

○部局内に周知(幹部に報告)するもの

○情報の把握(他省庁案件・政府の方針など)

1つ目は、期限があるから、期限前には緊急性が高くなる。期限が短いものなどは元から緊急性が高い。2つ目の定例的な業務も、それが求められる日には緊急性は高い。3つ目と4つ目の判断が難しいところで、周知あるいは報告の必要があるものは、直ちに対応することが求められる。そうすると、必然的に、周知も報告も必要ないような情報(例えば、部局の所管と全く関係がないもの等)についての把握が、後回しになり、空き時間とか休日にのんびりやればいいかという発想になる。

おそらく、総括係員の役目の中で、情報の取捨選択は大きな割合を占めると思われる。加えて、キャリア形成の観点からは、報告する必要がないような色々な情報についても、できうる限り把握し勉強することだと考える。

だから、休日の静かな執務室で、一人のんびり机と頭の整理整頓をするのも悪くはない。働き方改革とかQOLとかいう概念には反するかもしれないが、クオリティ・オブ・ジョブ(そんな表現があるのかは知らないが笑)の向上につながる。

 

さて、今年もあと1週間。

今週はミスが続いたので気を引き締め直し、仕事の質を上げて御用納めの日を迎えたい。

 

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【雑記】冬は寒いけど、星が見えるなら。

はてさて、なんと、2か月ぶりの投稿となる。
今日は、久々だし、肩慣らしに、筆の赴くままに、ダラダラとよしなしごとを書き連ねたい。(タイトルも内容に関係ないし、特に意味はない。。。今夜はふたご座流星群だとか。)

 

そもそも、なぜこんなにも更新が滞ったかというと、大学院のリサーチペーパーの執筆で、特に土日が忙しかったのである。
平日は仕事で疲れて頭が動かないし、土日だけで調べて書き進めるというのは、予想以上に苦痛であった。
提出期限の週は、平日も定時帰りして夜中まで作業なんてことをやっていた。

とはいえ、生み出したペーパーの質は高いとは言えず、それでも、提出してしまったから、今さら読み直してリバイスする気力もなく、1月末の口述試験をただ待つのみである。

 

それはそうと、一日中(年がら年中)、研究テーマについて、ああでもないこうでもないと思考をめぐらすことができるのは、幸せなんだなとつくづく感じた。

それと同時に、「自分は、研究者とか学者には向いていないかな。」改めてそう思った。今回のリサーチペーパーの指導を受けている教官から、「まるで行政官の報告だな。アカデミックな論文ではない。」と言われたが、なるほど、まったくその通りであった。着眼点やリサーチ能力、論理的な読解力と思考力とか根本的に足りていないのだ。(それを養う努力をしろということなのだろうが。)

だけれども、むしろ、だからこそ、研究者(学者)への憧れが強く、結局、アカデミックな成果を何ら生むことができなかった後悔もあいまって、近いうちに、また学生の身分を取得したいと思うのである。

 

学生ではなくとも、生きているかぎり、学びは終わらないのであり、いつまでも「学び人(まなびと)」でありたい。

個人的には、講義とかゼミとか耳で聞く(あるいは話す)「学び」が好きなのだが、学生を終える今後は、学びの手段は基本的に読書によらざるを得ない。(もちろん、公開セミナーとかはあるのだろうが。)

そんなことはわかっているが、まったく、部屋の机には、積まれた本がほこりをかぶっている。。。

興味があって買った本なのに、小説とは違って、まったく頁が進まないのは面白い。きっと、著者にも責任があるしw、あるいは、「学ぶために読まなければいけない」「積読を解消しなければいけない」という思考回路から間違っているのかもしれない。ただただ、知りたい!という知的好奇心が弱いのかもしれない。

仕事をしているときもそうなのだが、興味ないことは興味ないと切ってしまいがちなところがあったりする。(入ってくる情報量が多すぎて取捨選択しないとやってられないという実務上の問題もある。)
物知りに憧れるのに、知らないことは知らないままでいたい。
きっと、知らない方が幸せなことがあるからだろうが、単に、勉強をしない怠慢なのだろう。

 

そういえば、前述のペーパーは「幸福度」に関するものだったのだが、
それに関して少し感じたことを書いてみよう。(ペーパーの内容自体は、きっと、いつか書くことになろう。)
幸福度というのは、字のとおり、幸福の度合いであり、人生への満足の度合いと言ってもいい。それを数値化してアンケート調査などで把握する試みが、1990年代末から2000年代に盛んになったという。
背景にある問題意識は、簡略化すれば、経済的に豊かになれば幸せになるのかというものである。
これは、超高齢化・人口減少社会において、極めて重要な問題だと思われるし、かねてより、GDP偏重主義(経済至上主義?)には違和感を抱いていたので、今回ペーパーの題材として少し調べてみたということだ。
調べる中で思ったのは、
経済的な指標の向上のみならず、人々の主観的な幸福度・満足度の向上を図るべきという理念には大いに共感できるが、その実現は極めて難しい。
ということである。

そもそも、各人がどのように感じているかを把握することさえ不可能であって、アンケートの調査結果から統計的に「推論」するしかないのである。それは、大まかな傾向をとらえるということでしかない。
(そう考えると、最近は、EBPMという概念が流行っているが、そこでエビデンスとされる数字(しばしば統計学的な数値)も「推論」に過ぎず、盲目的な統計への信仰は、逆に危険だなとか思ったりする。単に計量経済学の知識が乏しいから、そう感じるだけかもしれないが。)

 

社会には、いろいろな価値観をもつ人間が存在し、同じ状況に満足できる人もいれば満足できない人もいる。
例えば、満足度が低いといったときに、多くの人が満足できない状況に置かれている人がいるのかもしれないし、多くの人が満足できる状況に満足しない人がいるのかもしれない。そして、そのことは把握が難しい。

そこで、目指すべきは、「納得度の政治」なんだと思う。(納得に対応する英語があるのか知らないし、先行の研究者が同様のことを提示しているかも知らないが。。)
重要なのは、満足できるかどうかより、納得できるかどうかではないだろうか。
つまり、満足できない状況に置かれたときに、納得できるかどうかである。(もちろん、客観的に判断して「多くの人が満足できない」だろう状況に置かれている人の救済は必要である。)
満足度は結果のみが問題となるが、納得度については、結果だけでなくプロセスも考慮することができるため、プロセスの正当性が要求されるのではないだろうか。

おそらく当たり前のことしか言ってない気もするし、こんなことを書きたかったわけではないのだが、
なんというか、こういう大きな?漠然とした「目指すべき理想」というか「理念」というものを自分の中で磨き上げていくことが大切なのだと思う。
そのためには、書籍などから情報や知識を蓄えること、それを基に思考すること、それが大切なのだと思う。

と、積読解消に向けた意気込みに回帰したところで、今日は筆を置きたいと思う。

 

追伸:年の瀬を控え、ここ最近は何かにつけて、いい職場でいい人たちに恵まれた幸せを噛みしめている。

 

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組閣のとき裏では...(おしごと紹介④)

#組閣 #官僚

今日は、忘れる前に記録に残しておきたいことがある。(2週間以上前だから、もう忘れかかっているが。。。)

組閣の裏側(という程でもないけど)である。

9月16日(水)に菅内閣が発足したが、発足日から金曜日までの3日間のバタバタを振り返りたい。

 

※実体験を基にしているものの、ところどころ脚色したフィクションです。また、個人の記憶に基づくため、正確でない情報が含まれます※

 

プロローグ

首相辞めるってよ。ってなってから、急ピッチで組閣の準備が始まった。(例年、9月には内閣改造があるから恒例行事ではあるのだが。)大臣が代わるということは、引継ぎ式とか退任・就任の会見がある。簡単に言えば、新しい大臣には、こういうこと訊かれたら、こういう風に答えてくださいって教えなきゃいけないし、重要な施策については説明しなきゃいけない。

加えて、今年は、来年度予算の概算要求がコロナで9月末に後ろ倒され、概算要求に向けた諸々の作業も並行して進めなければならなかった。(通常のスケジュールだと、8月末に概算要求が終わった後、9月に内閣改造となる。)そういうこともあって、今回は、例年より慌ただしかったのではないだろうか。(1年目なのでもちろん例年のことは知らないがw)

以下、日ごとに振り返ってみる。
※イメージを掴んでもらうために主要なイベントについてスケジュール風に記載するが、時間はまったくテキトーである※

 

9月16日(水)

(前日の夜には、報道ベースで新閣僚のメンバーが大方明らかになっていたが、うちのボスは正式には不明だった。)

9:00頃~ 臨時閣議安倍内閣総辞職

午前中 参議院 各種委員会

12:00頃~ 衆議院本会議 首相指名選挙

12:00頃~ 前大臣の閣議後記者会見(最後の会見)
 当然のことながら、前日に会見の原稿=想定問答を作成した。これまでの振り返りなど冒頭の発言はあらかじめ用意できるが、前日に、記者からこういう質問をするという通告があり、それについて、想定問答を作成する作業があった。(いつもの閣議後会見の流れと同様。)

13:30頃~ 参議院本会議 首相指名選挙

15:45頃~ 閣僚名簿発表

17:00頃~新大臣レク①
 あらかじめ用意しといた定例のものを用いて説明。夜の会見では、冒頭にはこういう発言をして、こういう質問があったらこう答えてください的な説明。あとは、出張の時期を相談すると、週末には行きたいとのこと。→ここから、急ピッチで出張の準備が始まる。(もちろん、近日中に出張に行くことは想定済みであるから、いつ行くのか相談したのであるが。)

18:00頃~ 皇居での総理大臣の親任式と閣僚の認証式など

22:00頃~ 初閣議

22:30頃~ 新大臣レク②
 複数の担当を兼任する大臣のため、他の担務のレクもあって先のレクは時間が限られていたため再び。出張の話(19日に日帰り案が浮上)に加えて、概算要求の説明もした。(先述のとおり今年は異例のため、新大臣にいきなり概算要求の話をするというのは極めて特異なのではないだろうか。と勝手に思う。)個人的には、この時間まで幹部がいるのがとても新鮮だった笑

22:45頃~ 新官房長官会見

23:00頃 官邸にて閣僚記者会見開始
(25:00~ 新大臣会見)一人ひとり順番にやっていくから、とてつもなく時間がかかる。一人5分と見積もっているが、そんなんで終わるわけもなく、記者も大臣ごとに総入れ替えだし、55分遅れで新大臣の番になった。職場で見届けてもよかったが、全員タクシーで帰るわけにもいかないし、上司に任せて、日付が変わる前に退庁。家に帰って、NHKアプリの生配信で視聴。
 職場で、各省庁に散らばってやれば一瞬で終わるのに...とか愚痴っていたが、大臣が同じ趣旨のことを言ったので笑ってしまった。(会見内容は、、、特に問題ないように思ったが、レクの通りには行かないようでした。) 

 

9月17日(木)

午前中 衆議院 各種委員会(本会議後)

13:45頃 新大臣初登庁:幹部がエントランスでお出迎え

14時頃~ 新旧大臣の引継ぎ式

15:30頃~ 前大臣の退任挨拶式(幹部職員に対して)

17時頃~ 新大臣の就任挨拶式(幹部職員に対して)

17:30頃~ 会見前の新大臣レク
 昨晩(未明)の会見を踏まえ、追加の想定問答を作成したり、昼過ぎに記者から通告された問に対する答弁を作成したりという準備をしたうえで、ここで説明をする。

18時頃~ 新大臣就任記者会見
 大臣の持論が飛び出した!(詳細は以下)

(ちなみに、全文はこちら↓)河野内閣府特命担当大臣就任記者会見要旨 令和2年9月17日 - 内閣府

 

9月18日(金)

午前中 衆議院参議院 委員会

11:30頃~ 参議院本会議

13:00頃~ 衆議院本会議

14:00頃~ 閣議:定例案件、副大臣大臣政務官決定

14:20頃~ 会見前の大臣レク
 前日の会見を踏まえて、記者から通告があった問に対する答弁を作成し説明。

14:45頃~ 閣議後記者会見
 結局、「縦割り110番」の方がインパクトが強く、沖縄関係の持論は影を潜めた。

15:30頃~ 大臣レク
 翌日の出張の話に加えて、所管事項説明なども一気に行った。所管事項説明資料については、あらかじめ用意していたが、資料が固まったのは当日だった。出張についても、四連休初日で取れる飛行機が限られていたり、初訪沖で行く場所はだいたい決まっているとはいえ、ほぼ一日でロジを組み、出張資料をまとめなければならなかった。出張資料というのは、訪問先の情報をまとめたものだが、県知事等と会談をする際の発言メモなども作成する必要がある。

21時頃~ 副大臣会議

22時頃~ 大臣政務官会合

 

9月19日(土)

大臣出張
 こんな怒涛の3日間を過ごした後であるから、随行者は大変だったと思う。(大臣もタフだな~とも思う。)

 

エピローグ

スケジュールっぽく書いてみたが、あんまりバタバタ感が伝わらない書きぶりになってしまったので、補足したい(笑) 
つまるところ、大臣が誰になるかわかったのが当日の午前中で、大臣の性格によって、また、会見における発言によって、説明資料も変わってくるため、(3日連続で会見があったし、)臨機応変な対応が求められたということである。また、並行して、前大臣の挨拶や国会の委員会があり、幹部は部屋をあけることが多かった。そんな状況で、想定問答を作成し、説明資料をリバイスし、出張に向けた準備を進めるのである。加えて、概算要求に向けた資料作りもちょうど山場を迎えていたのだ。

終始バッタバタであったが、金曜日まで終わったときの充足感はひとしおであった。(翌週は翌週で四連休明けで3日しかなかった割に、概算要求の関係でかなり忙しい充実した日々であったが。)大臣レクを実際に行うのは局長級・課長級である(上記では主語を明示しないで書いていた)が、自分が作った(作成に携わった)資料が、大臣の手元に行く(きっと役に立ってる)と考えるだけで満足できるから、この仕事に向いているんだと思う。。。

 

さて、月曜日からも頑張ろう。(明日は大学院の勉強をしなくては。)

 

※※このブログの内容はすべて個人的見地・見解に基づくもので、所属する組織とは一切関係ありません※※

 

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