官僚ブログ

官僚の卵(自称)が、日々のよしなしごとを綴る。

社会人って孤独だな...

「社会人(大人)って孤独だな...」

自分が未熟なんだろうけど、なんというか、必要以上に干渉しないというか、勝手にやってろという雰囲気(それが社会人ということなのだろうが...)があまり好きではない。

うちの職場がどうとかそういう話ではなく、社会人(大人)になるとは...という話である。(文章力が乏しい...)折に触れ、大人になってしまったな~(なり切れていないけど)と悲しくなる今日この頃であった。

もちろん、仕事のことで、教えてくれないなんてことは全くないし、時間があれば軽く雑談もする。飲み会とか親睦を深める機会がないという要因もあるかもしれないし、それに、各々が忙しくて構っていられないということもあるだろうが。大前提として、仕事は仕事、他は他という明確な区分がある。仕事をする上では当然であるが、なんというか、寂しい。

公私混同したいということではないが、例えば、学校という場所は、PublicでありPrivateでもあったと思う。他人に聞かれ見られる場所(役割が規定される場所)でありながら、友人関係を育む内なる世界(役割を離れ自由にふるまえる場所)でもあった。社会人というものが生きる職場(むしろ社会そのもの)は、そうではない。極めて閉ざされている。個人は、役割をもってのみ社会に出ることができるが、背後には見えないプライベートがある。社会に出るのは建前だけ。本音は隠される。公とされる社会には、建前(役割)ベースの関係しか生まれない。だから、孤独だ。仕事上の関係だけでなく、ご近所関係だって然りだろう。求められるのは「隣人」(=他人)という役割で、過干渉は許されない。だから、孤独だ。たしかに、過度に干渉されるのは嫌かもしれないが、一人では生きていけないし、もう少し、より本音ベースに近い関係を築き、助け合って生きることはできないのだろうか。なんて思う。(もしかしたら、田舎には少し残っているかもしれない。)

 

自立・自律というのは、高校時代によく言われたものだが、あのときは全く孤独ではなかった(自立していたわけでもない)。互いに助け合う(干渉し合う)仲間がいたと思う。なぜ、それが、実社会では見つけられそうもないのか。(社会では見つけられないという前提のもと、せいぜい今のうちに友情をはぐくんでおけ!というのが学校というものなのかもしれない。)うちの大学の法学部はよく「砂漠」と言われたが、社会の方がよっぽど干からびているw

 

裏も表もない自分を知ってもらわないことには、本当の意味で他人とは関係できない空疎な役割分担でしかない。そう思う。

一方で、もう少し時間が経過して、職場でも【チーム感】が出てくれば、その役割分担に満足できるようになって、孤独感は解放されるのかもしれないとも思う。(それでも一抹の寂しさは拭いきれないのかもしれないが。)

 

 

いろいろグダグダ書いたけど、すべては自分の未熟さの裏返しなのである。

甘えすぎるな、自立しろ、大人になれ!と自分で思う。

それでも、純粋さ、自分らしさは保持しておきたいと強く思う。(この考え自体、簡単に言うと、大人になりたくないということで、究極の甘えなのかもしれないw)

いま振り返ると、最近は後者ばかりが先行していた気がする。最低限自立しながら、与えられた役割を全うしながら、純粋な見地・感性を持ち続けたい。結局、何を言ったって、どんな社会であっても、与えられた役割をもとに社会(公)に存在しなければ、自分という存在は無いに等しい。(なかなか危険な思想w)

 

 

孤独だから、社会でも本音ベースの関係を築きたいと思うのだが、このブログだって、他人に読まれる以上、建前が混じり100%本音は無いのである。(公(建前)と私(本音)とか社会の話は、社会学的に興味深い話だと勝手に思い込んでいる。)

 

 

何はともあれ、配属されて二か月たった今、改めて気持ちを入れ直して頑張りたい。という決意表明でした。

そういえば、【自立】のほかに頑張りたい具体のテーマは、【精読と熟考】である。

ついつい楽をして、表面的な理解と浅はかな思慮に走りがちな傾向があるが、それを抜本的にに直さなくてはいけない。業務の時間制約上、仕方ないときもあるのだろうが、休日の物思い(自己研鑽)から徹底したい。癖付けをしたい。(と思うけど、休日くらい頭を休ませたい...)

 

雨降りの土曜日、駄文にて失礼。

 

※※このブログの内容はすべて個人的見地・見解に基づくもので、所属する組織とは一切関係ありません※※