官僚ブログ

官僚の卵(自称)が、日々のよしなしごとを綴る。

【雑記】冬は寒いけど、星が見えるなら。

はてさて、なんと、2か月ぶりの投稿となる。
今日は、久々だし、肩慣らしに、筆の赴くままに、ダラダラとよしなしごとを書き連ねたい。(タイトルも内容に関係ないし、特に意味はない。。。今夜はふたご座流星群だとか。)

 

そもそも、なぜこんなにも更新が滞ったかというと、大学院のリサーチペーパーの執筆で、特に土日が忙しかったのである。
平日は仕事で疲れて頭が動かないし、土日だけで調べて書き進めるというのは、予想以上に苦痛であった。
提出期限の週は、平日も定時帰りして夜中まで作業なんてことをやっていた。

とはいえ、生み出したペーパーの質は高いとは言えず、それでも、提出してしまったから、今さら読み直してリバイスする気力もなく、1月末の口述試験をただ待つのみである。

 

それはそうと、一日中(年がら年中)、研究テーマについて、ああでもないこうでもないと思考をめぐらすことができるのは、幸せなんだなとつくづく感じた。

それと同時に、「自分は、研究者とか学者には向いていないかな。」改めてそう思った。今回のリサーチペーパーの指導を受けている教官から、「まるで行政官の報告だな。アカデミックな論文ではない。」と言われたが、なるほど、まったくその通りであった。着眼点やリサーチ能力、論理的な読解力と思考力とか根本的に足りていないのだ。(それを養う努力をしろということなのだろうが。)

だけれども、むしろ、だからこそ、研究者(学者)への憧れが強く、結局、アカデミックな成果を何ら生むことができなかった後悔もあいまって、近いうちに、また学生の身分を取得したいと思うのである。

 

学生ではなくとも、生きているかぎり、学びは終わらないのであり、いつまでも「学び人(まなびと)」でありたい。

個人的には、講義とかゼミとか耳で聞く(あるいは話す)「学び」が好きなのだが、学生を終える今後は、学びの手段は基本的に読書によらざるを得ない。(もちろん、公開セミナーとかはあるのだろうが。)

そんなことはわかっているが、まったく、部屋の机には、積まれた本がほこりをかぶっている。。。

興味があって買った本なのに、小説とは違って、まったく頁が進まないのは面白い。きっと、著者にも責任があるしw、あるいは、「学ぶために読まなければいけない」「積読を解消しなければいけない」という思考回路から間違っているのかもしれない。ただただ、知りたい!という知的好奇心が弱いのかもしれない。

仕事をしているときもそうなのだが、興味ないことは興味ないと切ってしまいがちなところがあったりする。(入ってくる情報量が多すぎて取捨選択しないとやってられないという実務上の問題もある。)
物知りに憧れるのに、知らないことは知らないままでいたい。
きっと、知らない方が幸せなことがあるからだろうが、単に、勉強をしない怠慢なのだろう。

 

そういえば、前述のペーパーは「幸福度」に関するものだったのだが、
それに関して少し感じたことを書いてみよう。(ペーパーの内容自体は、きっと、いつか書くことになろう。)
幸福度というのは、字のとおり、幸福の度合いであり、人生への満足の度合いと言ってもいい。それを数値化してアンケート調査などで把握する試みが、1990年代末から2000年代に盛んになったという。
背景にある問題意識は、簡略化すれば、経済的に豊かになれば幸せになるのかというものである。
これは、超高齢化・人口減少社会において、極めて重要な問題だと思われるし、かねてより、GDP偏重主義(経済至上主義?)には違和感を抱いていたので、今回ペーパーの題材として少し調べてみたということだ。
調べる中で思ったのは、
経済的な指標の向上のみならず、人々の主観的な幸福度・満足度の向上を図るべきという理念には大いに共感できるが、その実現は極めて難しい。
ということである。

そもそも、各人がどのように感じているかを把握することさえ不可能であって、アンケートの調査結果から統計的に「推論」するしかないのである。それは、大まかな傾向をとらえるということでしかない。
(そう考えると、最近は、EBPMという概念が流行っているが、そこでエビデンスとされる数字(しばしば統計学的な数値)も「推論」に過ぎず、盲目的な統計への信仰は、逆に危険だなとか思ったりする。単に計量経済学の知識が乏しいから、そう感じるだけかもしれないが。)

 

社会には、いろいろな価値観をもつ人間が存在し、同じ状況に満足できる人もいれば満足できない人もいる。
例えば、満足度が低いといったときに、多くの人が満足できない状況に置かれている人がいるのかもしれないし、多くの人が満足できる状況に満足しない人がいるのかもしれない。そして、そのことは把握が難しい。

そこで、目指すべきは、「納得度の政治」なんだと思う。(納得に対応する英語があるのか知らないし、先行の研究者が同様のことを提示しているかも知らないが。。)
重要なのは、満足できるかどうかより、納得できるかどうかではないだろうか。
つまり、満足できない状況に置かれたときに、納得できるかどうかである。(もちろん、客観的に判断して「多くの人が満足できない」だろう状況に置かれている人の救済は必要である。)
満足度は結果のみが問題となるが、納得度については、結果だけでなくプロセスも考慮することができるため、プロセスの正当性が要求されるのではないだろうか。

おそらく当たり前のことしか言ってない気もするし、こんなことを書きたかったわけではないのだが、
なんというか、こういう大きな?漠然とした「目指すべき理想」というか「理念」というものを自分の中で磨き上げていくことが大切なのだと思う。
そのためには、書籍などから情報や知識を蓄えること、それを基に思考すること、それが大切なのだと思う。

と、積読解消に向けた意気込みに回帰したところで、今日は筆を置きたいと思う。

 

追伸:年の瀬を控え、ここ最近は何かにつけて、いい職場でいい人たちに恵まれた幸せを噛みしめている。

 

※※このブログの内容はすべて個人的見地・見解に基づくもので、所属する組織とは一切関係ありません※※