官僚ブログ

官僚の卵(自称)が、日々のよしなしごとを綴る。

テレワークとか働き方とかの話

今日も天気がいいし、少しずつ春を感じられる日が増えてきた気がする。
のんびり桜でも観ていたい気分だ。。

そういえば、コロナと共に過ごしてもう一年経つのだな...と思う。あのときは、なんだこれは?ヤバいな!とは思いつつも、まさかここまで長引くことになろうとは思いもしなかった...

4月に仕事を始めてすぐに緊急事態宣言があり、わけもわからずテレワーク(在宅勤務)をしたことを懐かしく思い出す。

今回の緊急事態宣言についても、出勤回避のためにテレワーク(在宅勤務)が交代制で導入された。家にいながら働けるというのは、昔だと全く考えられなかったことだと上司は言う。その時代のことは知らないが、たしかに、そうなのだと思う。入っていきなりテレワーク宣告をされたとき、「え、意外と進んでるじゃん?! 本気出せば、できるんだな⁉」と思ったのは事実である。

ということで、今日は、つまらない内容になりそうだが、テレワークとか働き方とかについて、思うところをダラダラと書き連ねたい。

 

■テレワークは効率的か?

まず、職場に出勤して仕事するのが当たり前の時代に、テレワーク(在宅勤務)をして問題がないのだろうか。つまり、出勤しての仕事と比較して、量・質が落ちないのかという問題である。

結論から言うと、単に慣れていないという理由から、そして、体制が整っていないという理由から(、価値観が追い付いていないという理由も加えられるが)、テレワークをすると、仕事の量・質ともに落ちざるを得ないと考えられる。

仕事の質を下げる要因をあげると、簡単に思いつくものだけでも、こんな感じだろうか。

すべてパソコン上で処理しなきゃいけないこと(紙文化だと非難されても仕方ないかもしれないが、複数の書類を一時に閲覧したい場合の他、細かい資料をみるとき、会計関係の数字の確認をする際など、紙の方が間違いなく有用である場合は意外と多い。)

対面なら容易に済ませられる報告、確認、相談に無駄なコストがかかること(もちろん、頻繁にメールをやり取りすることで補っているが、口頭なら一言声をかければ済むことを文面で伝えるのが難しいことは少なくない。そして、対面で相談したり議論したりすることの重要性を痛感している。)

他の人の働きぶりがわからないこと(上の指摘と被るところもあるが、他の人がどのように働いているのかわからないというのは、それなりに不安である。相談できるタイミングなのか、仕事をお願いしても良いのか、手さぐりになる。)

テレワーク(在宅勤務)だと不可能な仕事があること(いずれ時代が変わればどうなるか分からないが、大臣へのレク、幹部へのレク、議員へのレク、そして国会対応は、職場にいないとできない。たとえ可能であっても、職場にいた方が圧倒的に効率的である。)

家にいると、ついつい怠けてしまうかもしれないこと(そこは、個人の自覚と責任の問題であるが、隣に同僚がいた方が働きやすい。あるいは、家族がいれば、家族からの妨害も回避できないのではないだろうか。)

 

もっと感覚的な話だと、テレワーク日は、なにか少し嬉しいと感じる時点で、職場での労働よりもレベルが下がっているとは考えられないだろうか。無意識でも、テレワークだと、「楽」だから嬉しいと感じている自分がいる。

そもそも今回、中央省庁でもテレワークが導入されたのは、出勤回避のためであって、仕事の量・質を向上させるためではないから、仕方ないのかもしれない。(多少、仕事の量と質を落としても、出勤回避すべきだということかもしれない。)

 

■テレワークと働き方改革

一方で、逆に利点はというと、仕事の量・質を向上させるという観点からではなく、働き方改革の視点につながるのかもしれない。(より良い働き方が仕事の質向上につながるということかもしれないが。)((そもそも、昨今のコロナという外圧によって、やっとようやく進められようとしている諸々の変化を、都合のいいように「改革」とか言うのは全く好まないが。。))

先にテレワーク日だと楽に感じると言ったのは、労働自体が楽になるから、ではなく、労働と非労働の切替が楽だから、ということかもしれない。(あるいは、他の人がいなくて心的ストレスがないとかいう理由かもしれない。)たしかに、テレワークなら、始業の10分前に目覚め、終業した瞬間に風呂に入れるし、逆に、他人に変に気を使うことなく働けるのも事実である。

ただ、今般、テレワークと同時に残業縮減の取組も急速に進められているが、それらを半強制的に求めることは、働き方改革でも何でもないと主張したい。(緊急事態だから仕方ないのだろうし、半強制的に?圧力をかけて?やらないと進まないということなのかもしれないが。)

例えば、緊急事態だから仕方ないのだろうが、組織として「出勤回避」をするために、どうしても出勤しないとできない仕事(先述のとおり)がある人が、優先的に出勤することになる。そうすると、そういう仕事がない人は、自らの労働の量と質が下がる状況に置かれることを甘受しなくてはいけないのである。(悲しいかな。個人的には、やる気が削がれる。)

残業についても然りである。無駄のように思われる作業で他律的長時間労働させられるのも不快だが、残業をするなと圧力をかけられるのも、また不快である。

つまり、働き方や働く時間について、自由に(柔軟に)決められるということが、最重要なポイントなのだと思う。その観点で言えば、今般のテレワークも残業縮減も、働き方改革には該当しない。

((河野大臣が指示した在庁時間の調査は、それなりの圧力になっているのかもしれない。ただ、残業縮減圧力は、在庁時間(≠残業時間)にも反映されない無賃労働が増えるだけで、何ら解決につながらないのではないだろうか。。。と少し心配である。そもそも、個人的には、在庁した時間と残業代のもらえる残業時間が釣り合わないのは仕方のないことだと思っている。自らの労働の効率の悪さが原因で在庁時間が伸びていることも否めないのだし、予算に限りがあるのだから。しかし、在庁時間にも反映されない無賃労働が増えるのは、あまり好まない。))

20代総合職、長時間職場に 省庁の「在庁時間」調査―河野担当相:時事ドットコム (jiji.com)

 

■テレワークとパラダイムシフト

最後に、少し概念的な話。

理由はなんであれ、今後もテレワークが推進されて、当たり前になる未来を考えると、たとえ、みなが慣れてきて、体制も(文化も)整備されて。これまでの仕事の量・質と比べて遜色ないという状況になったとしても、それはそれで、大きな問題があるのではないだろうか。

つまり、テレワークという概念は、労働の場所的制約をなくすもので(、在宅でテレワークをするならば)、家というプライベート領域に労働をもちこむことにもなりかねない。それは、ワークライフバランスとかいって、推奨されるべきことなのだろうか。ややもすれば、オンラインでつながっている限りすべてが労働(少なくとも準労働)となり、プライベートがなくなるかもしれない。

どういうことか。。。
テレワークは、労働と空間のつながりを絶つ概念であるから、テレワーク概念が根付いていない現時点では、労働は時間と結びつけられて把握されている。(簡単に言うと、職場に行かなくとも労働をしているといえるのは、勤務時間(定時)という概念によってである。)しかし、労働と非労働をわける場所という物理的な区分がなくなれば、いずれは、定時というものが存在意義をなくし、労働と非労働の時間的境界もあいまいになる気がする。そうすると、どこにいようとも、いつであろうとも、労働と非労働を区分することはできなくなる。(労働と非労働の境界があいまいになれば、残業という概念はなくなり、すべて成果主義で賃金を払うことが妥当になるのかもしれない。)

テレビでもよく見る落合陽一氏が、「ワークアズライフ」という概念を提唱しているらしい。(ちゃんと書籍を読めていないが、きっとそういうパラダイムシフトが必要なのだと思う。)

一方で、すべて完全テレワークに移行できるかと考えると、そうはいかない。【場所】の意味は意外と大きかったりもするのだ。例えば、「国会」という場(アリーナ)で、意見表明し議論をするからこそ意味があるのであって、それは、今後も変わらないのではないだろうか。(オンラインで映したりすることになったとしても、その場所はなくならない。)

 

 

ということで、明日からも高い質で労働できるよう頑張ります!笑

 

※※このブログの内容はすべて個人的見地・見解に基づくもので、所属する組織とは一切関係ありません※※